イタリア中部地震の記事の書き起こし及び翻訳を行っています。
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《みんなサラーブレッドだ
あゝいふ馬 誰行っても押へるにいがべが》
《よっぽどなれたひとでないと》
古風なくらかけやまのした
おきなぐさの冠毛がそよぎ
鮮かな青い樺の木のしたに
何匹かあつまる茶いろの馬
じつにすてきに光ってゐる
(日本繪巻のそらの群青や
天末のturquoisはめづらしくないが
あんな大きな心相の
光の環は風景の中にすくなくない)
二疋の大きな白い鳥が
鋭く悲しく啼きかはしながら
しめった朝の日光を飛んでゐる
それはわたくしのいもうとだ
死んだわたくしのいもうとだ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
(それは一応はまちがひだけれども
まったくまちがひとは言はれない)
あんなにかなしく啼きながら
朝のひかりをとんでゐる
(あさの日光ではなくて
熟してつかれたひるすぎらしい)
けれどもそれは夜どほしあるいてきたための
vagueな銀の錯覚なので
ちゃんと今朝あのひしげて融けた金の液体が
青い夢の北上山地からのぼったのをわたくしは見た
どうしてそれらの鳥は二羽
そんなにかなしくきこえるか
それはじぶんにすくふちからをうしなったとき
わたくしのいもうとをもうしなった
そのかなしみによるのだが
(ゆうべは柏ばやあしの月あかりのなか
けさはすずらんの花のむらがりのなかで
なんべんわたくしはその名を呼び
また誰ともわからない聲が
人のない野原のはてからこたへてきて
わたくしを嘲笑したことか)
そのかなしみによるのだが
まだほんたうにあの聲もかなしいのだ
いま鳥は二羽、かゞやいて白くひるがへり
むかふの湿地、青い芦のなかに降りる
降りやうとしてまたのぼる
(日本武尊の新しい御陵の前に
おきさきたちがうちふして嘆き
そこからたまたま千鳥が飛べば
それを尊のみたまとおもひ
芦に足をも傷つけながら
海辺をしたって行かれたのだ)
清原がわらって立ってゐる
(日に灼けて光ってゐるほんたうの農村のこども
その菩薩ふうのあたまの容かたちはガンダーラから来た
水が光る きれいな銀の水だ
《さああすこに水があるよ
口をすゝいでさっぱりしてから往かう
こんなにきれいな野はらだから》
(かしはのなかには烏の巣がない
あんまりがさがさ鳴るためだ
ここは艸があんまり粗あらく
とほいそらから空気をすひ
あもいきり倒れるにてきしない
そこに水いろによこたはり
一列生徒らがやすんでいる
(かげはよると亞鉛とから合成される)
それをうしろに
わたくしはこの草にからだを投げる
月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
かしははせなかをくろくかがめる
柳澤やなぎさわの杉はなつかしくコロイドよりも
ぼうずの沼森のむかふには
騎兵聯隊の灯も澱んでいる
《ああおらはあど死んでもい》
《おらも死んでもい》
(それはしょんぼりたってゐる宮澤か
さうでなければ小田島國友
向ふの柏木立のうしろの闇が
きらきらっといま顫えたのは
Egmont Overture にちがひない
たれがそんなことを云ったかは
わたくしはむしろかんがへないでいい)
《傅さん しゃつつ何枚、三枚着たの
せいの高くひとのいい佐藤傅四郎は
月光の反照のにぶいたそがれのなかに
しゃつのぼたんをはめながら
きっと口をまげてわらってゐる
降ってくるものはよるの微塵や風のかけら
よこに鉛の針になってながれるものは月光のにぶ
《ほぉ おら……》
言ひかけてなぜ堀田はやめるのか
おしまひの聲もさびしく反響してゐるし
さういふことはいへばいい
(言はないなら手帳へ書くのだ)
とし子とし子
野原へ来れば
また風の中に立てば
きっとおまへをおもひだす
おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
鋼青壮麗のそらのむかふ
(ああけれどもそのどこかも知れない空間で
光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
…………此処あ日ひあ永くて
一日のうちの何時だがもわがらないで……
ただひときれのおまへからの通信が
いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ
とし子 わたくしは高く呼んでみやうか
《手凍かげえだ》
《手凍えだ?
俊夫ゆぐ凍えるな
こないだもボダンおれさ掛げらせだぢゃい》
俊夫といふのはどっちだらう 川村だらうか
あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者
わたくしははね起きなければならない
《おゝ 俊夫てどっちの俊夫》
《川村》
やっぱりさうだ
月光は柏のむれをうきたたせ
かしははいちめんさらさらと鳴る
さっきのみぞれをとってきた
あのきれいな松のえだだよ
おお おまへはまるでとびつくやうに
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林へ行きたかったのだ
おまへがあんなにねつに燃され
あせやいたみでもだえてゐるとき
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた
《ああいい さっぱりした
まるで林のながさ来たよだ》
鳥のやうに栗鼠のやうに
おまへは林をしたってゐた
どんなにわたくしがうらやましかったらう
ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言ってくれ
おまへの頬の けれども
なんといふけふのうつくしさよ
わたくしは緑のかやのうへのも
この新鮮な松のえだをおかう
いまに雫もおちるだらうし
そら
さわやかな
terpentineの匂もするだらう
こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
(おら、おかないふしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けっして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊きくのだ
(うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい
けふはほんとに立派だぢゃい)
ほんたうにさうだ
髪だっていっさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
(それでもからだがくさえがべ?)
(うんにゃ いっかう)
ほんたうにそんなことはない
かへってここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂でいっぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)
わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ