イタリア中部地震の記事の書き起こし及び翻訳を行っています。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
フリージャーナリストの安田純平さんのことについて、「自己責任」といった論調は絶対に間違っていると思う。
私が「出葉@ラクイラ愛好会」を名乗りイタリアの(ラクイラに限らず)被災地の「いま」を発信できるのは、イタリアからの報道があり、イタリア人がフェイスブックやツイッターなどで、被災地の「いま」を発信しているからだ。
彼らの声がなかったら、報道がなかったら、私達はイタリアの被災地が「復興した」と思い込んでしまうし、私達は震災を忘れてしまう。
それと同じことは、戦災地からの報道にもあてはまる。
被災地の「いま」を知り、被災者の感情を知るには、被災者の声や、被災地からの報道がどうしても必要だ。
それにより、例えばモリーゼ地震の被災者が16年たった今でも地震の恐怖を強く感じていることなどを、私達は知ることができる。
知ることができれば、被災地のことを想像し、動くことができる。
被災地に対して動くとは、例えば募金をするとか、パスタを食べに行くとかだ。
それにしても募金先がわからなければ募金すらできない。パスタの支援情報がわからなければ、パスタを食べに行くこともできない。
私達は動くときに、行動するときに、情報を必要とする。
戦災地からの情報をくれるのが、例えば亡くなった後藤さんや、今回解放された安田さんだ。
彼らからの報道がなければ、私達は戦災地の「いま」を知ることはできず、戦災地の人々のことをより深く考えたり、戦災地の人のために動くことはできない。
そして、その情報が私達に気づかせることは、私達は同じ人間であるということ、私達の抱える感情は驚くほど同じであること、そして私達は対話を通じて分かり合うことができるということだ。