イタリア中部地震の記事の書き起こし及び翻訳を行っています。
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なぜイタリア人は震災などの悲しい出来事をFacebookやTwitterなどで共有したがるのか。
少なくとも東日本大震災を被災した私と私の日本人の友人達は思い出したくないと願う。目を合わせるのも悲しいほどの出来事から、目をそらしたいと思ってしまう。思い出したくないという思いから、ニュースを一切見なくなった東日本大震災の被災者を、私は知っている。
これは私の積年の疑問であった。なぜあんなに悲しい出来事を思い出そうとするのか??
「イタリア人の苦手なところは、あくまでラクイラの魅力を語り合うための平和な場所に平気でリゴピアノの惨事(※雪崩に巻き込まれたホテルで、29人が亡くなった惨事)のニュースを載せたりするところ」
これが私の率直な感想である。まとめると。
なぜあんなに悲しい出来事をわざわざ思い出そうとするのか。思い出すことには苦痛が伴うはずなのに。現に、私の胸は今でもそのことを思い出すと抉られるように痛む。
だが、彼らは惨事を思い出すときの痛みを恐れ何も言わないことよりも、それを共有し悲しみを忘れないため、また悲しみを共有することを選んだ。
それが犠牲者のため、ひいては自分たちのためだと思っていて、そしてそれは間違っていない。
私達は語り継ぐことをしなければすぐに悲しいことを忘れてしまう生き物だ。
そう、その決断はまるで、原爆ドームを保存することを選んだ日本人のようだ、そう私は思った。
そして私はすぐにこれを思い出した。
イタリアの地震被災地の話である。
被災地を丸ごとコンクリートで封じ込める。地震で廃墟化した町を封じ込めた巨大アート : カラパイア
以下引用する。
これは、震災で命を落とした人々の追悼碑でもあり、震災を忘れないようにするための意味合いが込められている。廃墟となった町並みを丸ごと封じ込めた大胆なモニュメントはいくつかの物議を醸しているものの、見る者を圧倒する迫力を秘めている。
(中略)
その際に廃墟と化した旧ジベッリーナを案内されたブッリは、この被災地に震災で命を落とした人々の追悼碑の役割を果たすと同時に、古い町と新しい町をつなぐ芸術的な絆を表す巨大なモニュメントを造ることを思いつき、その作業が進められることになった。
いくらそのモニュメントを見ることが被災者の心を痛めても、いくらリゴピアノの惨事について思い出すことが被災者の心を痛めても、彼らは忘れない、忘れたくないと心から願っているのである。
忘れたくない、忘れてしまってほしくない。
その言葉は、悲しい出来事、つまりラクイラで起きた地震を経験した彼らの思いだろう。
そして私がそれを忘れないためなら、皆がそれを忘れないためなら、多少の痛みは耐えられるということである。
以下、イタリア人の意見を引用する。
私たち人間は、簡単に物事を忘れてしまう生き物だ。それがどれだけ悲劇的であっても、それがどれだけ忘れてはならない出来事であったとしても。
現に2016年8月24日のあの震災(※イタリア中部地震)のことを誰が覚えているだろうか?
忘れてしまっている人たちも多いのではないだろうか??あんなに悲しい出来事が私達の国に起きたのに、そして多くの人たちが亡くなったのに、私たちは何の教訓も得ずにそれを忘れてしまう。
それは本当にまずいのではないか?そして、犠牲者に失礼なのではないか?
私たちは思い出さなければならない。
同じことをくり返し、新たな犠牲者を生まないために。(後略)
なるほどなあ…これは想像以上に深い文化の違い、と総括できるのだろうか。
皆さんなら、どちらの痛みを選ぶだろうか?
結論から言います。仮設住宅の名前です。
C.A.S.E. とは、「持続可能な免震エコ住宅コンプレックス」の略であり、ラクイラ近郊に最大4449戸あり、ラクイラ大学の学生寮や、公営住宅に使われています。
3階か4階建ての低層免震住宅で、複数の世帯の方が住まれています。
以下ウィキペディアより引用…
この地震(ラクイラの震災)により62543人が自宅を失った。
このうち28579人は5553張りのテントに、33964人は518のホテルに、2225人は民家に避難することを余儀なくされた。
(中略)
仮設住宅については、3種類あり、持続可能な免震エコ住宅コンプレックス(C.A.S.E.)、仮設住宅モジュール(M.A.P.)、それに仮設校舎モジュール(M.U.S.P)である。これらは順にラクイラ大学の学生寮等、公営住宅、教育施設に用いられた。
イタリア在住者、もしくは在住予定者へ。
あなたの住む土地は安全でしょうか?
まず、イタリア語版のウィキペディアを開きます。検索窓に調べたいコムーネの名前を入れてもよいです。
次に、ページを下に辿り、Cl. sismicaと書いてある欄を探します。
ちなみにラクイラの場合は、zona 1 (sismicità alta)と書いてあります。
これは以下のリンク(イタリア語)に詳細が書いてあります。
https://it.m.wikipedia.org/wiki/Classificazione_sismica_dell%27Italia
イタリアの全てのコムーネを地震のリスク順に4段階(1が一番危ない)に分けたものです。
これは定期的に改正されるようですよ。
イルピニア地震(ナポリ地震とも呼ばれる)は、イタリアにおいて戦後最悪の被害を出した地震であり、 モーメントマグニチュードは6.9である。そして、およそ3000人の方の命が失われた。
津波や火災などは特になかったが、イルピニア地方は以前から地震が起きやすい地域であり、1930年にも地震が起きていた)に壊滅的な被害を出した。
※イルピニアとは、ナポリ近郊の古い地方の名称。日本で言うところの「薩摩」などにあたるのか?
明日(2018/11/23)はイルピニア地震が起きた日だと、以下の記事に書いた。
1980/11/23 イルピニア地震が起きた日 - 出葉の調色版@ラクイラ愛好会
さて、この戦後最悪の地震はイタリアの防災対策の分水嶺となったわけですが、なぜそう呼ばれるかは、それは以下の点にある。
まず、イタリア市民保護局(Protezione Civile)の統率が厳しくなり、災害時すぐに動けるようになったこと。
市民保護局は全国的な組織なので、2016年のイタリア中部地震の際にはフィレンツェのあたりから救急車が駆けつけたりもする。
日本もそうだが、その統率は国家機関である市民保護局がとっているということである。
次に、防災への意識が高まったこと。
イタリアにおいて防災の意識はあまりないとよく言われる(以下記事参照)。
「イタリアに防災文化ない」地震多発国に重い課題 耐震化進まず、歴史的建造物保全と両立も - ZAKZAK
さらに、特に地震のリスクの高い中南部(アペニン山脈沿い)において、防災意識が高まる景気を作ることとなった。
1974年に制定された地震対策法の改善に繋がることとなった。
1980年11月23日、日本では勤労感謝の日に当たる日に、ナポリ近郊で大きな地震(イルピニア地震; terremoto dell'Irpinia)が起き、約3000人の方々の尊い命が失われてしまいました。
この地震は2018/11/21現在、地震大国イタリアの戦後起きた地震の中で最も被害が大きかったものです。
また、この地震を機に、イタリアの防災対策は変容を強いられ、その結果その後起きた地震(ラクイラ地震など)の際によりよい対応ができるようになったのです。
つまり、イルピニア地震はイタリアの防災対策における分水嶺となったのです。
復興はまだ、終わっていません。
イルピニア地震により傷んだ道路の補修は、2023年まではかかるとされています。
ちなみに、イルピニアとはナポリ近郊の古い地域の名前(日本で言うところの、薩摩などにあたります)です。
イルピニア地震の当時何が起きたか、日本語訳付きで以下から読めます。
Esprimo le mie più sentite condoglianze a coloro che sono stati colpiti dal terremoto di Irpinia. Non dimenticherò mai questa tragedia.
イルピニア地震の影響を受けた方へ、心からのお悔やみを申しあげます。
出葉@ラクイラ愛好会