イタリア中部地震の記事の書き起こし及び翻訳を行っています。
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私はいつもラクイラ(イタリア中部)の人達の「強さと優しさ」に驚かされている。どんなに悲しい出来事が彼らの身に起きようと、決して弱さを見せないどころか、本当に屈強な人達が多い。
「強くて優しい」というのは、イタリア語ではforte e gentileというのであるが、それは私のサブアカウント(@forte_gentile)のユーザー名ともなっている。イタリア中部、アブルッツォ州の人々の気質を形容した言葉であり、私はいつも「本当にアブルッツォの人達は強くて優しい人達が多いな」と感じている。
言葉はアブルッツォの厳しい自然環境に由来するそうだ。アブルッツォは雪が降り、厳しい冬で有名だ。アブルッツォの冬は長く、そしてイタリア中部の割に寒い。それはグランサッソ(アペニン山脈の最高峰)が関係している。
だが、ここからが本題である。ラクイラの人々は、どうしてこんなに「強くて優しい」のだろうか?
答えは「連帯」だという。
約10年前の震災当時(私は当時いろいろと忙しく、ニュースを見る暇もなかったのだが)被災地に向けラクイラ全体が、イタリア全土が、そして世界中が、ラクイラに向けて「連帯」した。
日本もラクイラに向け多くの支援をした。それは「ラクイラ地震 ファクトシート」で検索すると外務省が行った支援が出てくる。
イタリアではDomani(明日)という曲がラクイラ、もっといえばアブルッツォのために演奏され、イタリア全土の歌手がラクイラのために連帯した。
そして、イタリアにて悲しい震災が起こる度に、ラクイラの人たちはあの日のことを思い、被災地に支援をするのだという。
事実、東日本大震災のときにイタリアからも多くの支援を受けたが、以下はウィキペディアからの引用である。
このように(この場合の「イタリア中部地震」とはラクイラ地震のことである)私達は連帯(solidarietà)をしてきたのである。
これがなぜ「強さと優しさ」に変わるのかというのは、昨日不幸にしてラクイラで起きた地震によりわかった。
それは朝食時に起きたマグニチュード3.6の悲劇的な地震だったのだが、その際に私のTwitterやFacebookのタイムラインを埋め尽くしたのは、
「大丈夫?」「心配です」「また地震…?」といった、連帯の気持ちだった。それはイタリア中から寄せられた、ラクイラへの温かい連帯だった。
とあるFacebookユーザーが、このように私に語った。
「連帯は、人を強くする。例えば、冷たい手を握り合うと、少しずつ熱を帯びてくる。その手は多くの人と繋がれば繋がるほど、より多くの人を温めることになる。そして、その熱が他者への優しさに変わるのだ。」
私は深く納得した。
被災者のもとに一日も早い安息が訪れることを願います。