イタリア中部地震の記事の書き起こし及び翻訳を行っています。
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イタリアは日本と同じく「方言の多い国」です。
ラクイラにもラクイラ方言(dialetto aquilano)があります。
試しにユーチューブで検索したら、ほとんど資料がなく愕然としたのを覚えています。(泣)
ところで、若い人は方言を使いません。
私はイタリア人の友人のコネを使い、とある大学のクラスライン(正確にはラインではなく、whatsappを使っているが)に招待してもらいました。
そこはイタリア中部にある大学なのですが、学生達は「全く方言を使っていない」ということがわかりました。
標準語!これなら読める!!
アブルッツォ(ラクイラが州都)にいる友人に聞いたところ、「方言を使う若い子はあまりいない」とのことです。
ただ、高齢者と話をするときは、やはり方言が話されることが多いといいます。
ですが、彼らは標準語も読めるし話せるので、イタリアの方言を学ぶ必要性は薄いと言えます。
ただ、地方によります。
イタリア人の友人によると、ナポリやシチリアでは方言を若い子も使うそうです。
北イタリアの場合、使わない方が多いようです。
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≫さて訴追理由に話を戻します.地震がいつ起こるのか,どこで起こるのか,といったことは現段階の科学のレベルでは予知することはできません.ならばなぜ,安全宣言など出したのか.地震が起こるかどうかは分からないのであれば,安全宣言ではなく,念のため備えておいてください,と言うべきではないか,というのが遺族らの主張でした.まったくそのとおりだと思います.
ラクイラ地震 禁錮6年の有罪判決について(1) | Welcome to OKI's Website
地震がいつ起きるかは、誰にもわかりません(これはイタリア市民保護局が公式に、地震を予知することはできないといったものです)
「ラクイラに興味を持った!」というそこのあなた!以下のブログやサイトは、イタリア中部・ラクイラ及びラクイラが属するアブルッツォ州について書かれているもので、特に私が「参考になる!」と思って選んだものです。
では、ラクイラについてのものから。
この方は、2011年秋にラクイラ大学の建築学科に留学された方です。
現地からの情報がとてもよく伝わってきます。
ラクイラに限らず、イタリアに(特に、マイナーな大学に)留学される方にお勧めです。
次に、アブルッツォ州についてのもの。
イタリアに住んだネギ|イタリアに夢みて移住を決意!イタリア情報ブログ
この方はアブルッツォ州に移住された方です。
イタリアの田舎暮らしに興味のある方にお勧めです。
イタリアの田舎に住んで良かったこと、悪かったこと。 | イタリアに住んだネギ
この記事が移住を考えている方には参考になると思います。
私もいつかラクイラから情報を発信できるように頑張ります。
もしその興味が私のブログからであったなら、嬉しい限りです。
昨年4月、ラクイラ地震から9年になる春、私の友人はこう言っています。
「傷はまだ癒えていない。鮮明な記憶はすぐ隣にある。たとえ何年経とうと、この日(4月6日)が来るたび、私はあの日のことを思い出す。
また別の友人は、こう言っています。
そして私の一番の友人は、北海道で地震が起きたときに(2018/9/6)、こう言っています。
あなたは大丈夫?(中略)私は「地震」という言葉を聞いただけで、心臓が止まってしまうかのように苦しくなるの。
これはすべて昨年(2018年)に、私が直接友人達から聞いた言葉です。
何年経とうと、ラクイラの光景は、そして彼らの心の中は、何一つ変わっていないのです。
それでも、平穏なはずの「ラクイラ市民の会」という集まりの中で、たまに地震の話をする人たちがいます。その集まりはインターネット上でのグループなのですが、そこの管理人さんが今回最初に言葉を引用した人なのです。
管理人は彼らに対し、何も注意さえしないのです。
私はその光景にすごく疑問を感じていました。
「なぜ、地震のことを思い出しただけでこんなに苦しくなる人がいるのに、彼らはPTSDを持っていて、フラッシュバックが起きるかもしれないのに、なんで、この『ラクイラ市民の会』というグループで、地震について情報を載せる人たちを止めないの?やるならほかでやって!」と私は思っていました。なので、それをあくまで「私の意向」として、それを管理人にWhatsAppで伝えてみました。
すると、すぐに管理人さんから返事が届きました。
不幸なことに、ラクイラは地震の多い地域である。(※)君の言う通り、地震について発信することは多くの人たちをいまでも大いに悲しませる。
それでも、この『ラクイラ市民の会』は、たとえラクイラに住んでいなくても、例えば君のように、「ラクイラを愛する人」全員に扉が開かれている。
そして、この街を愛するということは、この街で起きた悲しい記憶をも忘れないでいるということである。ラクイラは地震の多い地域に位置しているから、また悲しい出来事が、いつか起きてしまうかもしれない。それはこのグループの趣旨である「この街を愛するということ」の一部である。