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出葉の書き置き

イタリア中部地震の記事の書き起こし及び翻訳を行っています。

東日本大震災が起きた日、私はどこで何をしていたか

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東日本大震災が起きた日、私はどこで何をしていたか

私は東日本大震災(言うまでもなく、日本において2011年3月11日に起きた震災)の被災者です。

 

そこで私は「当時、どこで何をしていたか」をひとりの被災者として、発信していかなければならないと思い、今この記事を書いています。

 

私は当時学生でした。

そのため、帰りのホームルームをやっていた最中に突然強い揺れが私達の教室を揺らしました。

同級生の中には、母の名を呼び泣いている人や、死を覚悟したのか別れの言葉をとっさに言う人がいるなど、かなり恐怖がありました。

 

ですが、私はなぜか落ち着いていて、「ああ、いま地震が起きているなあ」と思っていました。この余裕はどこから来たのやら。

ただ、私は何も考える余裕がなかった、それだけなのです。

 

そして、担任の教師の指示に従い、校庭に避難することになりました。

校舎が倒壊する危険があるから、と担任は説明しました。

一部納得していないように見えた生徒もいました(とくに下の学年)が、皆落ち着いて校庭に避難をしました。

外は寒く、少しだけ雪が降っていました。

私は机の上に置いてあった外套が、地震の揺れによって落ちてしまって、それを拾うだけの心の余裕もなかったので、コートなしで避難しました。

かなり寒かったので、後日私は避難所にて風邪をひくことになります。

 

手がかじかみ震えていく中で、空がだんだん暗くなる中で、だんだん私の不安は強まっていきました。

母も父も仕事で家にいない。本当に迎えに来てくれるのだろうか?

そもそも、無事なのだろうか?

まさか、地震で死んではいないだろうか?

そう考えると私の小さな胸は不安ではちきれそうでした。

 

最後から2番目でした、父が迎えに来たのは。

「ごめん、待たせたね。」父が思いっきり私を抱きしめてくれたのを今でも覚えています。

 

そして、私は避難所へと向かうのですが……聞かなくてもわかる通り狭く苦しい環境であり、特に「聴覚過敏」を持っていた私にはひどくつらいものでした。

 

そのため父が偶然持っていたキャンピングカー(※アマトリーチェの人々もこれを使って車中泊をしています)を使い、私たちの家は避難所の近くで車中泊をすることになりました。

 

幸い自宅は一部損壊で済んだので、すぐに車中泊からは逃れられましたが……。

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