アマトリーチェでは239人が亡くなったが、命を落とした人と同じ数の鐘楼の鐘が鳴らされ、町の人たちがろうそくをともして犠牲者に祈りをささげた。
被災者の一人は、いまも半壊した自宅前のトレーラーハウスで暮らしている。
経営していたレストランを2017年11月にも再オープンさせる予定で、「やっと希望が見えてきた。客がひとりでも来てくれればうれしい」と語った。
アマトリーチェ周辺では新しくフードエリア(※当ブログ内の2017/8/1朝日新聞書き起こしを参照されたい)やショッピングモールが建設され、住民たちは徐々に日常生活を取り戻しつつある。
だが、アマトリーチェ中心部のがれきの除去は1割程度しか進んでいない。
中心街への立ち入りは禁止されたままだ。
ピロッツィ町長は毎日新聞の取材(※2017/8/24毎日新聞書き起こしを参照されたい)に対し、「がれきの除去が進まないのは痛恨の極みだ」と話し、官僚的なシステムが復興を遅らせているといらだちを示した。
イタリア中部では2016年8月以降、地震が相次ぎ、被害がさらに広がった。
仮設住宅の建設は遅れ、いまも7559人がホテルや施設などで避難生活を送っているという。