出葉(てには)@ラクイラ愛好会 の活動指針および目的をここに記す。
主な目的は2つある。
ひとつは、学生と音楽の街である私の愛する街ラクイラの魅力を紹介し、また、「地震の被災地」以外の素晴らしい面などを紹介することだ。
試しにGoogleなどで「ラクイラ」と検索してみてほしい。
そうすると、9割近くの記事は地震に関するものである。
地震でどれだけの人が被害を受けたか、傷ついたか、亡くなったか、そういった記事ばかりがあふれている。
それはもちろん必要な報道ではあるが、検査結果は地震のことに一辺倒になってはいないか。
そして、ラクイラはその地震からどのくらい復興したのか、そういった情報は日本にいて日本語の記事を読む限り、あまりわかってこない。
例えば、自分の生まれた街が、自分の育った街が、もしくは自分の大切な人がいる街が、多くの外国人にとって「地震の被災地」としか見られていられないとしたら、それはすごく悲しいことではないか?
「ラクイラ?あの地震の被災地でしょう?」と思われていることは仕方ないことなのかもしれない。
ただ、私はそれ以外の面―素晴らしい歴史、芸術、観光地など―についても知ってほしいと思っている。
しかし、いざこの素晴らしい都市ラクイラの観光地及び歴史、芸術などを調べようとしても、イタリア語(もしくは、英語)の記事を読み解かなければならない。日本語で読める資料はとても限られているからだ。
そこで、私はそれを翻訳し、ラクイラの「いま」を伝えようと思い立ったのだ。
これはイタリア人の友人にもあてはまる。
以前私が「イタリアに行くなら、どこに行きたいか?」と聞かれた際、迷わずに「ラクイラに行きたい」と答えると、彼はこう言った。
「地震があったところでしょう?」
イタリア人でさえ、この街の素晴らしい魅力や、輝かしい歴史や、そういったものを知らずにただ「地震の被災地である」という見方でしか見ていないのだ。
また、彼は「訪れるのは素敵なことだと思う。もう復興は終わっているだろうから、きっと素敵な観光になると思う」と言ったが、ご存知の通り復興はまだ終わっていない。
それを疑うなら、
https://www.pinterest.jp/beqsan/laquila-9-years-after-heart-earthquake/?sender=618400729991821805&invite_code=a966eed330b548a8a2208cb51cb1020a を見てほしい。
これは、2018年現在のラクイラの様子である。
※もちろん、サン・ベルナルディーノ大聖堂やコッレマッジョ大聖堂などの主要な観光地は復興しており、街を観光することはできる。
私は、これはひとえに情報不足によるものであると考えている。
だから、彼らが情報にアクセスできる環境があれば、そして情報があれば、こういったことはなくなると思っている。
もうひとつは、地震(これはラクイラ地震に限らず、イタリアで起きた地震に関するすべてのことであるが)に関するデマや誇張された情報、誤解されている様々なことを、インターネットの片隅で「訂正」することだ。また、日本ではあまり入ってこない、被災地(これはイタリア全土であり、ラクイラに限られたことではない)の「いま」を伝えることだ。
例えばイタリアの地震の被災者が全員快適な避難所生活を送っているとか、例えばラクイラ地震で科学者が有罪判決を受けたのは「地震予知」の失敗にあるとか、例えばそういった無知や誤解や偏見などのいろいろなものからくる間違った情報や、偏った情報を訂正することにある。
ちなみに前者は「被災者の多くは親族宅に身を寄せるか、あるいは車中泊を強いられるかしており、震災後1年が経っても車中泊を強いられている被災者もいる」ということで、後者は「(ラクイラ地震は2008年末ごろから群発地震が相次いでいたが)切迫する地震の危険性を住民に知らせていなかったことに、有罪判決(※後に緩和された)が下された理由がある」ということだ。
防災という概念及び文化がないといわれているイタリアにおいて、日本の防災技術は役に立ち、称賛されているものである。だが、日本もイタリアから学ぶことはあるし、その逆もしかりである。
そのため、私はイタリアにおける事例を発信することで、日本との対象比較、またイタリアと日本の防災体制の今後を考える上での資料を提供することを目標としている。